なでしこのために

みずから問い、考える女性のためのよみもの

さざ波からはじめよう

エッセー

自分の言葉では、社会を変えられないかもしれない

「自分の報道によって社会を変えられると思うのは、おこがましい―。」

とある著名なジャーナリストが、とある番組でジャーナリズムを志す学生たちに対して放った激励の言葉だ。

私は報道の志望ではないが、ライターとして自分の抱える問題について文章を書くことを希望している。
ゆえに、この言葉を聞いたとき、坐禅中に警覚で肩をひっぱたかれるような、痛みを伴う強いねぎらいを感じたのだ。


社会の変化は、一つの要因では説明がつかない

「自分の発信ごときでは社会を変えられない」

冷静に考えれば、これは至極真っ当なことだ。
社会の変化というものはものすごく緩慢に、そしてひとつだけではなく、数えきれないほどの要因が絡み合って起こるもの。

誰かが放った情報や言葉のたった一つのみによって社会の変化を説明することは、とても難しいだろう。

しかし正直にいえば、私はライターとして仕事をしたいと考えこのブログを立ち上げたときは、「自分の文章で社会を良い方向に変えたい」という浅はかな志を持っていた。

自分の人生で感じた理不尽さを深く追求して文章にし、世に問いたい――と。

だが、冒頭のジャーナリストの言葉によって、自分の考えていたことの独りよがりさに気付かされたのだ。


さざ波を、ひとつずつ作っていこう

「自分の発信ごときでは社会を変えられない」

この前提に立ったとき、私が思うことは、
「ならば、さざ波を少しずつ作っていこう」

ということだ。

自分の文章を、まず目の前の一人に手渡す。
その人の考えや行動が、少しだけ、変わる。

これが小さなさざ波となって、少しずつ少しずつ、つながっていき、
そのうち、その人の周りの社会に浸み出していく。

さざ波は急速には広がらないけれど、けれど緩く、じわりじわりと、次の波を生み出す力を持っている。

かもしれない。


私が思っているほど、個人のブログ上の1文章というのは強い力を持っていないかもしれない。

けれど、そのことを恐れずに、まずは自分が小さなさざ波を作ってみること。
そしてその波をまずは1人に繋げるということ。

まずは小さなうねりを作る。
そのことを、少しずつやっていきたいと思います。

2023年9月18日
野原たんぽぽ

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